日和見アカデメイア

ゆるく書いていきます!

就職活動

 現在、僕は就職活動をしています。正直な話、スキルも経験も(新卒だからあたりまえか)ない僕は営業でも事務でも働ける気が微塵もしません(泣)

 最近あった合同就職面接会など訪れてみましたが企業の数に圧倒されてしまい挙動不審になってしまいました…(笑)広告関係の営業職と印刷会社の営業職etc…様々な企業の説明を聞きに回りましたが「うーん。ノルマに追われる仕事は、のろまな僕にできるかなぁ」や「体育会系のノリやべえwww」と思う企業が多く僕みたいなノースキルな文系にとっては厳しい現実を突きつけられました。

 

 そこで今回はこの本を紹介したいと思います!

 

  ふむふむ、こんな生き方もあるのかぁと思ってしまいました。この本を読んで思ったことは多角的な視野で就職活動をしていくことでした。しがない就活生の僕がこんなことを言うのはおこがましいのですが日本の就職活動はどこか形式化されすぎて「気持ち悪いなぁ」と思ってしまいます。(悪気はありません!ごめんなさい)ロボットみたいな笑顔で頷くリクルートスーツを着る若者達みたいな…。正直もっと自由な就活っていうかいろんな雇用のスタイルを日本は認めてくれてもいいのに!と思ってしまいます、個人的に。

 

 「新卒採用」「年功序列」「終身雇用制」などなど高度経済成長に支えられた日本固有の労働形態といいますかリクルートスタイルというか…こうゆうのは目覚ましく発展していた経済成長率に担保されたシステムだったのではないかと個人的に感じています。したがって日本ももう少し中途採用の幅を広げて労働力の流動性を高めるとか人生の寄り道(現役以外にもスキルアップのために大学で研究などなど)を認めるような新卒以外の人にもやさしい労働市場になればいいなぁと僕は考えています。

 

 ちなみに外国人労働者の問題は断固反対です。日本は日本人のための労働体制であるべきだ、と考えます。

 

経済学は面白い!

 経済学ときいて皆さんはどのようなイメージを抱くでしょうか?

「難しそう…」「数字がいっぱい」「文系なのに理系みたいな学問」などなど小難しいような負のイメージでいっぱいだと思います。正直、僕も最近まで経済学っていうと「数式と難しい理論を用いて何かする」学問だと感じていました。一応、社会科学系の学部で現在大学生として勉強している身ですが経済学は入門レベルしか知らないので非常に現実離れした学問だと感じていました。

 

 ですが、この「ヤバい経済学」という経済学を扱った本を読んでみると非常に経済学は現実の疑問の紐を解いてくれる面白い学問なんだ!と思うようになってきました。

 

ヤバい経済学 [増補改訂版]

ヤバい経済学 [増補改訂版]

 

  とにかく面白いのです!ワクワクするような語り口もそうですけど非常にアカデミックな知識に裏打ちされた分析法を用いて犯罪や不正などの問題を解析していくのですが「こんな使い方があったんだ!」と現実離れした経済学が実践的で役に立つ学問だったんだなぁと目からウロコが溢れてくるような体験をすることができました。

 

 僕自身、お金の勘定(簿記会計)以外の数字に対して苦手意識が強いのですが数学にも挑戦してみようかなぁ?と思ったほどです(笑)

 

 

 

 てか最近ブログの方向性が迷走していますwどうしたらいいものか…(語り口も丁寧語だったり固い口調だったりバラバラなので統一させた方がいいのかなぁ。。w)

 

公共事業、労働政策に対する考察

 最近、公共事業の入札ラッシュといいますか過剰な事業の需要に対して我が国の建設業界がそれに相当する供給力を持ち合わせていない問題が多出している気が昨今の新聞、テレビニュースなどで感じ取ることができますよね。ではこの事を踏まえつつ以下のニュース記事をご覧ください。

 

公共工事 入札不調、例年の2倍超 建材高騰・人手不足で - MSN産経ニュース

 

公共工事 入札不調、例年の2倍超 建材高騰・人手不足で

2014.4.10 10:59

 都道府県が平成25年4~12月に実施した公共工事の入札のうち、受注業者の決まらない「入札不調」などが占める割合は平均7・8%で、例年の2~3%に比べ急増していることが9日、共同通信のアンケートで分かった。東日本大震災の復興事業や安倍政権公共事業推進で、全国的に建設工事が増加。建材高騰や作業員不足に対応できず、入札不参加が増えているためだ。政府は対策として東京五輪を開く32年度まで外国人労働者の活用を拡大する方針も打ち出している。

 調査は全都道府県に25年4~12月の公共工事の入札で、参加業者が集まらなかった「不調」や、入札額が予定価格を上回るなどして業者が決まらなかった「不落」の割合などを聞いた。

 統一基準がないため集計の方法や時期は異なるが、宮城が最大の25・7%で、沖縄22・3%、岩手21・8%が続いた。住宅の高台移転など震災復興が本格化した影響が大きい。沖縄は以前から離島の工事で不調が目立つという。

 

 この記事のように、日本はとてつもないインフラ整備のための建設需要が高まっていることがわかります。しかしながら震災復興など今一番、重要な局面にいる東北の入札不良が顕著に目立っており、この事態を打開するために安倍政権では「外国人労働者の活用」を推進していく考えだそうです。

 

 この外国人労働者の活用に関して僕の個人的な見解は「断固として反対!」の立場を取らせて頂きます。私がそう考える根拠として、あまりに短絡的な政策なのではないか?と考えてしまうからです。グローバリズムという大義名分を振りかざして外国人労働者を活用するのは筋が通った政策のような感じがしますが、よく考えてみると「実質賃金の低下」や「治安の悪化」など弊害は非常に大きいのでは?と疑問点が浮かびます。まずは安易な労働政策に走るのではなくて建設業界の労働環境の整備から段階的に行い、日本国民の雇用を最優先に行う政策を考えるべきなのではないかと私は個人的に感じています。

 

 以上のことから、昨今の建設業界は従来の姿から変容しようとしているのが感じ取れたのではないでしょうか。「新自由主義」の名のもとに「自由こそがすべて!」という安易な政策には断固として反対の声を挙げていきたいと思います。

 

 

「嫌われる勇気」を読んで

 今日の岩手県は雨が降ったり、晴れたりを繰り返す忙しい天気でした。そんな中、午後から自由な時間があったので前々から購入していて読んでいなかった岸見一郎氏と古賀史健氏の著書である「嫌われる勇気」を読み進めてみました。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

  

 この本の中で「アドラー心理学は常識へのアンチテーゼ」と書かれていたのを見て、確かにその通りの理論といいますか、考え方だなぁと驚きの感情を味わいながら読み終えました。

 

 まさしく今の僕はアドラーの言う「人生の嘘」で人生のタスク(課題)から逃げ続けている人間であることが明確に理解できました。僕自身、「もっといい家庭に生まれていれば家庭教師とか使っていい大学にも行けたのかなぁ。お金持ちだったらエリートコースの道を進めたのかなぁ」などフロイト的な原因論的な考えを根底に持っていましたがアドラー的な目的論の考え方をこの本で知って変われる勇気を持つことの大切さを知ることができました。僕自身、優劣コンプレックスを用いて「家が裕福だったら僕はもっと有能な人間に成長できた」などと人生の課題から目をそらしたかったのかなぁと自己反省しています。

 

 この本で得られた知識の鍵は今の塞ぎこんだ自分を開ける鍵になってくれるような気がしています。この鍵を無駄にしないためにも今から自分ができることをしっかりやり遂げていきたいと考えています。

 

最近の政治について

 近頃は日本という国のあり方を考える上で必要不可欠な要素である「憲法」についての論争が国会で繰り広げられている。憲法の拡大解釈での集団的自衛権の行使の是非や憲法自体を変えてしまう「改憲」に関しても議論が進んでいる。しかしながら僕達の中で単純な一つの疑問が浮かぶのではないだろうか?それは「憲法」とは何か?という素朴な疑問である。以下において憲法とは何かについて述べ、それを踏襲して現在における憲法改正議論についての個人的見解を述べていきたい。
 
 憲法とは英語でconstitution という。この憲法という法律は最高法規と呼ばれ、簡単に言えば法律の中の王様のような立ち位置に存在している。では具体的にどんなところが法律の王様なのだろうか?それは、国における国民地位を保証したり、国家による権力の暴走を防ぐための国民と国との約束事なのだ。したがって憲法改憲することは非常に困難であり、次のような手続きを踏まなければならない。

憲法第96条 第1項で「この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」と規定し、第2項 「憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体をなすものとして、直ちにこれを公布する。」

となっており、簡単に「はい!この憲法邪魔だから変えるね!」とはいかないのである。この改憲手続きの中で非常に重要なのは「国民投票で過半数の賛成」を有する部分である。日本国の主権は国民にあり、国民自身の決断によって最終的には改憲されるため政治家などの独断と偏見のみでは憲法改正を行うことができない仕組みとなっている。

 では、以上のことを踏まえて現状の国際情勢と照らし合わせて日本国憲法は正しく機能しているのか?と考えてたときに僕自身「?」と考え込んでしまう。正直な話、日本国憲法においては第9条において戦力を保持することができないのは有名だがこの項目は「アメリカにおける日本軽視」が如実に現れた項目ではないだろうか?このように僕が考える根拠として第二次世界大戦が終わったときに日本国はGHQによって占領され、その時に急ピッチで新しい民主的な憲法を作らされた。この時にアメリカの考えは「アジアの小国がこれ以上大きくなることはないだろう。だったら俺たちアメリカが守ってやってもいいかな!属国として面倒みてやるか。」という甘い考えだったに違いない。その結果、戦力放棄など独立した国とは思えないアメリカに守ってもらうのが前提の最高法規が出来上がったのではないだろうか。そしてアメリカの予想は外れてしまい日本が立派な経済大国となった際に周辺諸国と対等に付き合っていくためには独立した戦力が必須であり今まさに議論の対象になっているのだと考える。戦争をするためではなく抑止力としての戦力を保持することは国家として当たり前のことだ。しかしながら、急いで改憲してしまうのではなく国民世論との乖離は避けなければならないだろう。そのためにもときの権力者には様々な価値観を加味し、議論していってほしいと願うばかりだ。

初記事…

 ぶっちゃけブログってのは長く続いたためしがない。だってめんどくさいんだもん!そんな僕がまたブログをやりたいなぁと思ったキッカケが「論理的な文章を書く練習をしたい!」と感じたからです。やっぱり文章ってのは書かないと上手にならないしブログを通じて少しづつでもステップアップしていければいいなぁと思いこのサイトを開設しました。

 このブログで扱う内容は主に日々、僕が生きる上で感じたことであったり、時事ネタであったり、学問についてだったり適当です。とにかく書きたいことを全部書くというスタンスでがむしゃらに毎日続けていこうと考えています。

 

 とりあえず第一回目の記事はおしまい!またね!