日和見アカデメイア

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メジャーコードのような素直な音に僕はなりたい

 僕はギターで弾くメジャーコードの音色が大好きだ。CやDが特に好きで、その音から始まるビートルズのレット・イット・ビーやサザンオールスターズ真夏の果実も大好きだ。

 

 メジャーコードの音は素直で、気持ちが良くて、爽やかで、不純物が1つもない素敵な音をしている。朝でも夜でも昼でも元気がないときに、爪弾くメジャーコードの音色は、僕の暗い気持ちを解きほぐしてくれる。

 

 しかし、僕の気持ちはメジャーコードのような綺麗な和音を奏でてはいない。ある意味で不協和音だと思う。言ってる事とやってる事がチグハグで、自分でも何がしたいのかわからないし、死にたいのか生きたいのか、努力したいのかしたくないのか、わけがわからなくなる時がある。

 

 変な二層構造が僕の気持ちを狂わせている。その構造が僕の不協和音を作り出している気がするのだ。

 

 まず僕は自分に厳しい。しかし、厳しい割に努力をしない。自分は煩悩にまみれた凡夫にも関わらず、意識のほうでは聖人君子として振る舞いたいと思っている。しかし、聖人君子になろうとする努力をしていないのだ。このアンビバレンツな心の分裂が、僕を苦しめていることに最近気づいてきた。

 

 僕は今、半分ニートみたいなもんなんだけど、世間でいう肩書きを持つ人間に酷い嫉妬を覚えてしまう。これも自分が許せない、受け入れられないという謎の自分に対する厳しさから出た感情だと言えるだろう。僕も意識の上では、彼らのような肩書きを持つ人間でありたいと考えているに違いない。しかし、現実の僕は努力もしたくないし、寝ていたい怠惰な人間である。妄想によってヴェールに覆われている自分と、現実の凡夫な自分の乖離が非常に心に深い亀裂を生み出しているに違いない。

 

 今日、YouTube斎藤一人さんという人の動画をたまたま見た。彼は有名なビジネスマンなのだが、彼の言葉に僕は少し救われた気がした。彼が言うには、自分に優しくできる人が人に優しくできるというのだ。逆に自分に厳しい人は、他人には何倍も厳しい。なるほど、僕もそういう所がかなりある。

 

 自分の怠惰な部分を受け入れないと、努力をする元気が湧いてこない。そりゃそうだ、「お前はダメだ!」と常に言われている人間がやる気を出して努力をするなんて、よっぽどバイタリティがないとできない。僕は、自分が頑張れない構造を自ら生み出していたのだ。

 

 きっと自分を受け入れる道は険しく長いのだろうけど、一日に何回も「今の自分でいいんだよ、そのままでいいんだよ、生きてるだけでいいんだよ。」と優しく声をかけてあげたいと思う。だって、他人に優しい素敵な和音を奏でたいから。