日和見アカデメイア

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身近に潜むいじめの影

 僕は高校時代にひどい「いじめ」にあっていました。個人的な推測ですがいじめていた方々は「いじめていた」という感覚は皆無だったのではないでしょうか。

 いじめという行為は「いじり」などという曖昧で抽象的な言葉で正当化されることば多いです。僕の場合でも同じくクラスの友達に相談しても「それは君がいじられているだけだから」「愛されてる証拠じゃん」という返答をもらいました。

 人間はそこまで理性的な生き物ではありません。動物の一種であり僕のような自己主張が苦手で歯向かってこないような人間に対しては非情に振る舞うことだってあります。そうゆう相手に対して歯向かうことが当時の僕はできませんでした。相手に迎合してひたすら道化を演じていたのです。

 この道化を演じるということは大学生になった今でもついやってしまうことで、相手からの非難や批判が怖いことが根底にあると考えています。そのために道化を演じることで相手に媚びへつらい機嫌を取るような行動をしてしまうのです。

 腸が煮えくり返りそうな罵詈雑言を浴びても常に相手に対して害がないような人間であり続ける人生はそろそろ終わりにしたいなぁと考えてはいるのですがどうもいつもうまく実行することができない今日このごろです。ちっぽけなプライドですが傷つけられるのは避けられません。なので、しっかりと自分という確固とした自信を持って生きていきたいと考えています。

 

 辛い時に元気を貰った本を紹介しておきます。この本は心理学という学問を通していじめに関する具体的な精神分析をされています。