日和見アカデメイア

ゆるく書いていきます!

昔の日記を見返してみること

 雨がザーッつと家の屋根に降り続いている。しとしととした雨より、豪雨のほうがなんとなく好きだ。災害になるレベルは嫌だけど、豪雨の轟音が心を洗い流してくれる気がするからだ。朝、起床するときの僕の心は非常に抑うつ的で、「あー世界滅亡しないかなぁ」とガチめに思ってしまうくらい頭がぶっ飛んでる。

 

 そんなぶっ飛んでる頭に轟音の豪雨が降り注ぐのも悪くなかった。なんていえばいいのか、マインドフルネス?瞑想的?スピリチュアリズム?潜在意識が解放されるっていうか、余計な雑念が消えて、フラットな気持ちになれるんですよね。今まで、外の音とか景色とかを感じる余裕なんてなくて、五感を大切にしない生き方をしてきた。けれども、あらためて五感をフルに使って雨音や、空気の感触などを楽しんでみると、生きるっていうことのもう一つの意味っていうのがわかってくるきがする。意味っていうのかわからないけれども、生まれてただ死んでいくという無情。でもそれが当たり前であり、だからこそ人間は日々一生懸命生きて、瞬間瞬間の充実感を得ていくのだと思う。

 

 瞑想的な心理状態だったので、昔の日記を見返してみた。日記というよりは岡田斗司夫さんが考案した、スマートノートと呼ばれるノート術で書いたやつなんだけどね。それでも昔からの自分の癖っていうか、一ヶ月前何書いてたかなぁみたいな自己分析はできる。

 

 三ヶ月前から現在にいたるまでの、ノートを見てみると恋愛の事しか書いてなかった。「こんなに恋に恋する学生みたいな心境だったのか…」とビックリしてしまった。だって書いてあることと言ったら、「LINEが返ってこない!不安」とか「飲み会に行った、変な男いなければいいけど」みたいなヤフー知恵袋でバリバリ相談されてるような内容なのだ(笑)我ながら笑ってしまった。やべー恋は盲目じゃ。

 

 恋愛に代表されるような思考暴走みたいな状態って、五感を軽視した生き方をしてしまうんだよなぁと改めて実感しました。もう客観性もなにもないもの(笑)

 

 恋人がいなくてもいいじゃない、そのうちできるかもよ?仕事ができなくてもいいじゃない、そのうちできるようになるかもよ?寂しくたっていいじゃない、必至に生きようともがいてるんだから。心の中で起こるグジャグジャした想念は、心の叫びであるので優しく抱きしめたあげたい。そしてそこから、今、目の前にある自然や人物、風景に心を向けていけば不安や苦しみは少しづつ減るのではないだろうか。