日和見アカデメイア

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ドストエフスキー「地下室の手記」を読んで

 昨日、ドストエフスキー地下室の手記を読み終わった。筆舌に尽くしがたい迫力満点の文章は重苦しく、痛々しい状況が目に浮かぶようで心が痛かった。

 

 この小説は、架空の人物が書いた手記という形式をとっていて二部構成で物語は展開していく。第一部は主人公の自問自答のような自分語り、第一部は主人公が役人だったころに体験した壮絶な出来事について述べられている。以下において、この小説の自分なりの感想を述べていきたい。

 

 この小説においてのキーワードは「自意識」であると思う。「あいつは自意識過剰だ!」などネガティブなイメージで使われることが多い言葉だ。しかしながら、自意識は子どもが大人に成長する際に必要不可欠なものである。また、この自意識があるからこそアイデンティティ(自己同一性)が確立され自分らしさという武器を手に入れ、自分らしく生きていくことが可能になるのだ。この毒にも薬にもなる自意識だが、この小説の主人公のネクラーソフはこの自意識に踊らされており、傍から見ると道化のようである。

 

 自分に自身がない人間ほど強烈なプライドで埋め合わそうとする。私自身もネクラーソフと同じ自意識の塊であると自覚させられ、ネクラーソフの演説のような1人語りを読んでいると胸が痛くなった。

 

 この物語の後半では、ネクラーソフが過去に体験した強烈な思い出が語られている。かつての学友達や娼婦の女性との会話のシーンから読み取れるように、ネクラーソフは、高すぎるプライドが故に周りと対等な関係が築けない。常に「復讐的」「支配的」な関係しか構築できない主人公の苦悩が描かれている。対等な関係を築きたいけど築けない、人間が嫌いだけど人間と絡みたくなる…このアンビバレントが感情は私も日頃から感じている感情であり、深い共感を覚えてしまった。

 

  この手記は、帝政ロシアの過渡期という不安定な時代に書かれている。アリストテレス曰く人間はポリス的動物である。つまり、人間は社会的に包摂されることで人間らしくとして生きていくことができるのだ。この帝政ロシアの不安定な時代は、バブル崩壊後の日本と類推することができるだろう。この手記を読みながら私は、不景気から生まれた格差意識に苛まれる現代日本人を私は思い出してしまった。ネクラーソフのような地下室的人間は決して道化ではない。時代の病理を体現しているセンシティブな人間なのだ。