日和見アカデメイア

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アメリカの超格差社会について

 最近、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画をよく見てます。彼の作品は非常にジョークと皮肉に溢れていて時間を感じさせない作りとなっていてエンターテイメント性も優れていて2本続けて視聴してしまいました(笑)

 

 

ボウリング・フォー・コロンバイン [Blu-ray]

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シッコ [DVD]

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  この二作である。一つ目のボウリング・フォー・コロンバイン銃社会のアメリカの惨状を赤裸々に語った映画である。アメリカには子どもでも簡単に銃を買えてしまうような状況が存在しており銃による殺人が後をたたない。しかしながらアメリカから川を一本隔てたカナダにおいても銃は簡単に買えてしまう状況はアメリカと同じでありながら銃による殺人は圧倒的に少ない現状があったのは衝撃であった。

 やはり銃社会であり、しかもブッシュ政権時におけるテロへの恐怖心の煽りのように国民を恐怖心を掻き立てる政治体制が問題だったことがわかった。お互いがお互いを監視しあう監視社会が犯罪率を上げていた要因なのかと感じた。

 

 二つ目のシッコに関してはアメリカ人が加入している医療保険などにスポットライトをあてたアメリカ医療の汚点を探る映画だった。アメリカは強烈な資本主義であり国民の見方のような保険制度でさえも金儲けの道具として活用される様が描かれている。医療における格差は非常にアメリカでは激しく正直、アメリカに生まれなくてよかったなぁと感じてしまった。

 

 この2作を通してアメリカの格差社会についての個人的な意見を述べていきたいのだが、やはり日本人はアメリカに対しての憧れというか超大国として過大評価しすぎている傾向があると個人的に考えている。

 やはり世界一の経済大国であり、グローバル金融市場においての不動の地位を築いているのは紛れもない事実である。しかしながら明るいアメリカンドリームを成し遂げた人々の部分だけを我々は見ていないだろうか。

 現在、日本では非正規雇用労働者4割ほどいる。この非正規雇用労働者は企業からすれば重宝できる労働者であり日本経済が自由化した悪い結果の一つだと思う。いつでも首を切れる状況に立たせられ、物のように使い捨てされる労働者はまるで19世紀においての工場労働者のようだ。マルクス資本論を見直されてきている背景からしてあまりにも産業界や政治界の権力者は労働者を舐めすぎているのではないか?

 日本人は文句を言わず真面目に働くのが美徳とかんがえる人が多い。しかしそれは言葉を変えれば声が大きい人のいうがままになってしまう恐れがあるといってもよいだろう。経営者や政治家は我々と同じ人間であり間違いを必ず犯す。その時は労働者は団結して声をあげる事を躊躇ってはいけないし、権力者に対して強く「NO!」を突きつけることは民主主義国家の国民として当然の義務である。

 間違ったことに対して「NO!」と強く言うところから本当の民主主義が始まるのではないだろうか。私はそう考えている。