日和見アカデメイア

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風俗産業に関する個人的な考察

 「風俗」と聞いて皆さんはどのようなイメージを抱くだろうか?ちなみにネット辞典でお馴染みのgoo辞典での風俗という言葉はこのような説明になっている。

 

 ある時代やある社会における、生活上の習わしやしきたり。風習。「明治の―」「性―」 風俗営業のこと。また、それに関係する事柄。「―産業」 身なり。服装。
「旦那らしき―の人」〈人・梅児誉美・初〉 身ぶりや態度。身のこなし。
「物和らかな―にとんと見とれて」〈伎・韓人漢文〉
 http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/190353/m0u/ 

 

 

 1番目の意味での風俗というのは「風習」という言葉と同意義だと捉えることができる。もはや私達のコミュニケーションの中でこの意味で風俗という言葉を使う人はあまりいないだろう。2番目の風俗営業とはすなわち「日本独自の風営法風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)で規制されている料理店やダンスホール、飲食店などの総称」である。もちろんこの風俗営業にはこの記事のテーマである性風俗産業も含まれていることは言うまでもない。この記事ではこの辞典の2番目に意味に該当する性風俗産業に関する個人的な考察を論じていきたい。 なぜ私がこの「性風俗産業」に関する記事を書きたいと思ったかと言えばこのブログでも紹介した「ヤバい経済学」に書いていたセックスに関する章を読んでからだ。以下がその章の一部である。

それじゃセックスはどうだろう?人間の営みの中でも一番非合理的たるセックスが合理的な価格理論に反応するなんてありえない、そうでしょう? そりゃそうだろっていう例外がいくつかあるけれど、それを除けば、普通私たちはセックスの価格なんて考えない。売春はそんな例外の一つだ。結婚もそうだ。オトコどもには、高級ディナーは賢い投資でセックスはその配当だと思っているヤツらがいるみたいだけど。
出典:東洋経済新報社 スティーヴン・D・レヴィット スティーヴン・J・ダブナー著 望月 衛 訳 ヤバい経済学 p.303より 

  

 どこか私達の中には性的なものに対するタブー意識が根強く存在することは否めない。そんななか経済学の世界ではその性的な行為であるセックスに関しても価格理論を用いて分析を行うアプローチがあることを知って私は驚いてしまった。

 

「セックスを需要と供給の経済学的な考え方で考えるって…こんな場面にも当てはめることができるのか…!」

 

 率直な感想である。たしかにセックスを売り物にしている産業として有名な性風俗産業の需要は強大であると言わざるを得ない。ちなみに日本の全体の風俗嬢の数は30万人だそうだ。しかもそこから捻出される市場規模は3.6兆円であるという…。凄まじい市場規模。男の性である性欲を見事に商売に結びつける性風俗産業はある種「究極のサービス業」と定義することができるのではないだろうか?風俗嬢に対するベネフィットは非常に多くリッチな暮らしをしている女性も多いはずだ。しかしながら社会的リスクや道徳的な罪悪感(もしかしたら消失してるのかもしれないけど)と戦いぬくには少なすぎる報酬なのかなぁと個人的に考えてしまう。

 男性はなくて女性にしかない武器を使いお金を稼ぐ性風俗産業は古代ギリシャの時代から脈々と続いてきた産業であることが今日わかっている。かつて我が国日本においても吉原など国営の遊郭などを設置して男性の欲望を満たしていた。これからも分かる通り人間も動物であり食欲や睡眠欲と同時に性欲もあるのだ。これがなければ今ここにいる私達人類も絶滅していたに違いない。

 この増大する性欲(男性の場合は本能として多種多様な女性に遺伝子を与えたい)を合理的になおかつ産業に結びつけているこの性風俗産業の流れは差別の対象としてみるのはあまりにも軽率であって、一つの産業として再認識することが求められていると考えている。